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2023年08月 |2023年09月
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ネタバレあり ジブリ映画『君たちはどう生きるか』 考察と感想

『君たちはどう生きるか』を見てきました。

ネタバレなしの感想としては
「(いい意味で)やってくれたな、宮崎駿(さん)」というものでした。

原作小説というか、企画の出発点になった吉野源三郎の小説は、映画化が決まった段階で読んでたんですが、小説も良いです。
映画は、かなりの熱量がこもっていて、そこが良かったです。
ジョーカー以来の映画感想になりますが、あれで終わってはいけない笑

ただし、万人にお勧めできるのかといわれると、そこは疑問です。
あくまで、自身の判断で見に行くか決めることをおすすめします。

以下はネタバレありの感想になるので、注意です。

ジブリ制作側が何の予備知識もなく見れる状況をあえて整えてくれています。 そのため、ジブリが好きで観劇予定の方はなんの予備知識もなしに見に行かれることをお勧めします


現段階でのジブリ作品(関連)評価順です。
ジブリ作品はほとんど見ています。


ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)




さて、ネタバレ注意君(+_+)も出しておいたので、ここからは本当にネタバレで書いていきます。
一応もう一度。


ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)



はい、ここからは、見た方だけでお願いしますね。(*^-^*)

いいですか、見た方だけですよね。
まだ見てない方はいないですね?

じゃあ、少しずつ話していきます。



目次
全体的な評価
感動したポイント
好きなシーン
①宮崎駿の尽きない情熱について
音楽について一言
アニメーション(内容)について
②高畑勲や鈴木敏夫や手塚治虫
余談 引用元の話
余談 全体的な内容についての考察
③メタファーとファンタジーとインナーワールド
④ファンタジーや創作物の存在意義とは?
「君たちは」の物語の作りについて
⑤生きている以上、誰もが誰もと関わっていてる。


全体的な評価 

まず、全体的な評価をしたいと思います。
評価なんていうのはおこがましいですが、ひとまず大体の感想を伝えないことには
わかりにくいと思うので。

巷では賛否分かれているみたいですが
僕は絶賛、星5評価でいうと星5の立場を取りたいと思います。

この作品は確かに色々わかりづらく、説明も少ないです。
それだけに、見ごたえがあり、解釈にも幅がある作品だと思います。
魔女の宅急便だとかカリオストロ、ラピュタ、ナウシカ、トトロのようなわかりやすいものではなく
(一部わかりづらいシーンや説明されないシーンもありますが)
ハウルのようなわかりづらさがあります。
(ちなみに僕はハウルは原作が好きなせいもあり、映画を観る前に本を読んだということもあってか、けして嫌いじゃないんですが、他の宮崎作品ほど高く評価していません。)
そして、そのわかりづらさは、宮崎駿自身について知ったり、宮崎作品を繰り返し見ること、また本作を繰り返し見ることによって緩和されるものだとは思いますが
究極的に理解できたり解決されることはない、と思います。

それは、他人に対してわからないことがあったり、理解できないことがあったり
他人どころか、自分に対してもわからないところがあるのと同じです。

このような難解さは昨今敬遠されがちですが、
そこにあえてふみこんでいった監督と本作はすばらしいものだと感じましたし、
わかりづらいから素晴らしいというのではなく
わかりづらいなりに、こころに訴えかけてくるものがあるというのが
すごいな、とおもいました。
理屈を超えてきているんですね。



いろんな見方ができると思いますが、ひとつ道筋を見つけるとすれば、やはりアニメーション創作についての話なのかな、と。

一番重要なのは、自分のお母さんをちゃんと出してきて
そのお母さんを書く!ということをやってくれたことです。
ラピュタやその他の作品でも、宮崎さんの母のモデルはたくさん出てきてると思いますが
完全に「母」として出てきた(それも二人に分けて)のは今作初だと思いますし
抱えていた思いに向き合って描いたのは、素晴らしいと思います。

風立ちぬが「父」寄りだったとすれば、今回は「母」寄りで、そういう意味も含めて
二つで1つの作品という印象があります。

個人的に本作は楽しめました。
ただ、万人におすすめできるかと言われると難しく
見て損はないと思いますが、子どもが手放しで楽しめるかというと
少し難しい気もします。
子どもは子どもで楽しめるシーンはあるとは思うんですが
つまらないと感じるであろうシーンも多々ありそうで
これはまあ大人にとってもそうなんですが、万人にオススメするのは難しいですね。

おそらく、面白がらせて、面白かったから素晴らしい、という視点を観客(友達)に排させる
というのがある気がするんですよね。
面白いかつまらないかだけで判断させない作りになっているから
ウェルメイドで最後盛り上げることはいくらでもできる宮崎駿が
今回はそういう手法からは脱却してみせた、ということなんじゃないかな……と。
そういうわけで、わかりにくいという感想もわかりますし、今作がつまらないという意見があっても、もっともだと思います。

自分で考えろという、ある種説教っぽい部分があるんですよね。
主人公が自分の頭で考え行動するようになるというのは、テーマに沿った話だなと思いました。



感動したポイント

①鬱屈とした気持ちを抱える主人公(宮崎駿)

②「君たちはどう生きるか」という「本」を偶然開く。
母親から託された本だった。主人公に影響を与える。

③本から影響を受け、主人公は世界との対峙の仕方を変化させる。
(逃げずに向き合おうとする、など)

④異世界において母親と出会う。

⑤変化した主人公が、本を読んだ姿勢のまま自分や他者、世界と向き合うことで
母親が現実に帰るきっかけになった。

⑥母親は主人公を生み
やがて火事で死んでしまうことを知るが
その運命を受け入れ現実に帰る。

⑦帰る時主人公は、母親は運命を受け入れたと知る。

⑧そして現実に帰った母親は
「君たちはどう生きるか」という本を主人公に託そうとしていた
(これはそもそも、本好きであった大叔父の影響が強かったようだ)




以下、①へループ

現実にもどれたおかげで、母親は息子を生み「君たちはどう生きるか」という本を託す。
「君たちはどう生きるか」をよんだおかげで、息子(主人公)に変化が起こる。
息子に変化が起きたことで、母親は現実に帰ろうという決心をする。

つまり、母親は「君たちはどう生きるか」という本を息子に託したことにより現実に戻れた。
息子は「君たちはどう生きるか」を読んだことで、母親を現実に返すきっかけをつくり
生まれることとなった。

ちょっとややこしいですが、つまり因果関係がつながっていて
お互いがお互いを助ける存在となっている、と思いました。

ここらへんの因果関係は、実はハウルでじっくり見せたかった(あるいはやったけどなかなか伝わりづらかった)部分なんじゃないかなと思います。
(ハウルがカルシファーを捕まえる。
心臓を与える代わりにカルシファーを使役するようになったハウル。
カルシファーのおかげで城を動かせる魔法使いになったハウル。ただし心臓はない。
ハウルが城を動かしたおかげで、ソフィーはハウルと出会う
ハウルと出会ったおかげでソフィーの呪いがとける
その結果、心臓をとりもどせるハウル。
ハウルが心臓を取り戻したと同時に、命を与えられ自由になったカルシファー
たしか本はこんな感じの因果だったかと……。映画ではもうひとひねりあったような…。)


まあそんな感じで本作の感想に戻ると、まだ本作の方がわかりやすいし、
現にヒミさん(お母さん)と主人公が出会い活動するのがいいですね。


そこらへんをあえて説明せずにわかりづらくしたことに価値や意味があったのか…と言われると
もう少しわかりやすいものにしてもよかった気がしますが
それだと説明台詞的なものを入れ込む必要も出てしまうでしょうし
簡単に理解させたくない……というような気持ちもあるような感じがします。

とはいえ何回か見たら、わからなかったところがわかるようになる、という部分は確実にあると思うし、それはある種のサービスなんじゃないかな、と思います。


何度も見て楽しむ人にとっては飽きにくいものになっていて
それは宮崎駿の「簡単には消費されないぞ」という意志でもあると思うし
「何度も見て楽しんで」というサービスでもあると思うんです。

大人で、一度見て「あー面白かった」で終わる人にとっては不向きというか
そういう風潮に対する挑戦的な姿勢を感じました。



好きなシーン
冒頭の走り(寝巻のままでいいんだよ)
コイのシーン
花火があがるシーン
てへぺろするインコ
おいしそうなパン
ありえない状態で積みあがっている積み木
千と千尋の最初のトンネルのような、キリコの絵のような通路を歩くシーン
最期ドアを開けて元の世界に戻るシーン

まあこのあたりでしょうか。
コイとカエルのシーンなど、序盤のサギのシーンはどれも圧巻。
てへペロするインコが、不気味でありながらチャーミングで、なんかすごくいい味出してました。


①宮崎駿の尽きない情熱

まず、宮崎駿の情熱を感じられたのがなにより大きかったかな、と思います。
風立ちぬで終わるかと思いきや、まだこれだけのものを作れるというのはすごい。
風立ちぬで、創作は終わりかな……という感じを出ていたのに
今回 いや、まだまだやるぞ、という感じがあった。
そこに驚かされました。
個人的に、宮崎映画というのは、高畑映画へのアンサーという部分があるんじゃないかと思います。
同時に、高畑映画は宮崎映画へのアンサーとなっている部分がある。
例えば、高畑さんがぽんぽこをかけば、おなじ舞台で耳をすませばを企画する。
もののけ姫の「生きろ」に対し、「適当」の山田君。
こういう感じで、お互いがお互いの作品に影響しあっている感じはありました。

その流れでいうと、かぐや姫の物語に対するアンサーとして
「君たちはどう生きるか」があるのかと思いました。
だけど、実はもう、かぐや姫のアンサーとして風立ちぬをやっていた。
風立ちぬがかぐや姫のアンサーとして成立していた。
じゃあ今回の君たちは、はかぐや姫のアンサーではないのかといわれるとそうでもなく、
つまりアンサーな部分はあると思います。
今回はかぐや姫のアンサーとしての風立ちぬをまた違う角度で描くとともに
「じゃあどういう作品を作るのか?
(作ったのか? それらの作品はどういう価値、意味をもったのか?)」に対する
一つの答えを出したと思います。

あたらしい表現というのが難しいのではないかなと思っていましたが、
冒頭あたりはかぐや姫の荒々しいタッチのアニメーション味がありましたし
(古くはクラック!にもみられるような)
そういう意味ですでにアンサーになっていましたね。

音楽についてひと言
音楽でも、久石譲さんでしたが、かぐや姫の時の月光をアレンジした音楽っぽい曲が多く
(姫が上京したてのシーン)
場面になじむような音楽の使われ方をしていましたね。
今までの宮崎作品のような、音楽で作品自体を表現するというより寄り添うような音楽の使われ方でかなり控えめな印象を受けました。
その分、アニメーションへの集中というのはありましたが……個人的には
もう少し、いままでらしさがあっても良かったのでは、という感じがします。
今までに比べほとんど印象に残っていないので……。
風立ちぬまでは、音楽、印象的でした。
でも、これもかぐや姫へのアンサーの一つな気がします。

アニメーション(内容)について

アニメーションについて話が戻りますが、
宮崎駿らしさはありつつ、今まであまり描いていなかった「鳥」というのが随所に出てきました。
宮崎駿といえば豚だったんですが、鳥になったことでだいぶ見え方は違ってましたね。
もちろんモチーフとして別というのもあるとは思うんですが
やはり飛べるというのが大きいですね。
飛べる、自由、解放、みたいな。

そこらへんは往来のメーヴェだったり飛行する乗り物だったりで
共通点はあると思うんですが、鳥を出してきたのは新鮮味がありました。
ところが、その飛べるはずのペリカンが捕らわれている。
抜け出せないというのは意味深でしたね。

結構残酷というか、暴力的だったり生々しい描写も時々存在してましたが、
そこらへんは宮崎駿の今までの感じがあったりしましたね。

内容の核心的な部分に触れていきますが、
今回は宮崎駿がかなり、自分の過去や内面をさらけ出していると感じました。
醜い部分も出す。
弱い自分も出す。
さらには潜在意識にまで理解を深め、そこも描く。
自分自身と向き合った話で、ある意味私小説的内容です。

紅の豚などはまだかっこつけている感じがありましたが、今回は特にさらけ出す。
風立ちぬと今回の君たちはで、とくにそれを感じました。

その流れでいうと、宮崎さんのお父さんの仕事の関係など、
心中複雑な葛藤をずっとかかえて生きてきた幼少~青年期の自己存在に対する理解の欲求や世界に対する関心、熱量が創作の意欲につながっているのかなという感じがします。

そして、この「自己」や「世界」というものに対して社会学的見地から
光明を与えてくれる本が「君たちはどう生きるか」でもあったと思います。

アニメーション技法だと、群衆、大群シーンが迫力出てましたね。
とはいえ、やはりポニョなどの方が、迫力はあったかなぁ……。
本作は、アニメの動きよりも、内容重視の感じはしましたね。


②高畑勲や鈴木敏夫や手塚治虫

うーん、難しいんですが、彼らが宮崎駿に影響を与えていたというのはあると思うんですね。
とくに今回のサギ男ですが、やはり手塚作品に出てくるお茶の水博士(猿田彦)を連想しました。
手塚先生自身も鼻にコンプレックスがあったのか、自画像は鼻を大きく書いています。
つまり、猿田彦=お茶の水博士=手塚先生の分身、ということがいえると思うんですよね。
宮崎さんにとって手塚さんの存在はかなり大きかったもののはずで、
師であると同時に敵視した存在だとも思うんですが、結局今回徐々にお互いの存在を認め
和解し友達になった、ということなのでは、というような印象です。
これは本当に個人の解釈なので、
手塚さんそのものかといわれると、実は鈴木さんっぽくもあり
ちがうかもしれないし、そうかもしれないし……。

あくまで、映画の考察&感想(印象)なので
みなさんそれぞれの感想を大事にされて
それぞれの解釈で捉えていただいた方がいいと思います。
ここに書いてあることはすべて、個人の気軽な感想として受け取ってもらえると幸いです。笑

大オジ様は高畑勲という感じがしましたが、やっぱり宮崎駿の分身でもあると思うんですよね。



余談 引用元の話
今回は、引用というのがふんだんにある感じがしましたね。
感じた部分を思い出せる範囲で……。
まず宮崎作品自身からの引用はあまりに多くあると思うので
そこは省いた感じで見ていきたいと思います。

マグリッドやキリコの絵
死の家
絵画的部分ですね。
糸杉はゴッホにも通じているんでしょうか。
風立ちぬでも、絵画の引用はありましたね。

注文の多い料理店
セキセイインコたちの家?に入るところ

灯籠あげ
わらわらが上がっていくところ
らせんに上がっていくのは、DNAっぽさも感じました。

シンゴジラ?
あの石が、シンゴジラ成体(赤)の体表のように見えましたが
たぶん関係ないでしょう……笑

ゲド戦記
船がたくさんのシーンや漕ぐシーンなんかは、なんだかゲド戦記、影との戦いラストっぽさ(本)を感じました。

サギ
やはり前作に続き、序盤の鳥のシーンは、ファウストのメフィストフェレスっぽさを感じましたね。
創作世界に誘う存在として、やはり「先人クリエイター」という事だと思います。
手塚先生はファウストを3回ほどやき直していたはずです。


ペリカン
これは、アニメーターですかね。
現実に帰れなくなった、というのも、だいぶ思わせぶりですね。
最後帰れてよかった。


ハリーポッター
暖炉からでてくるシーンは、ハリーポッターっぽさを感じました。
ハウルからかもしれませんが……。


トムは真夜中の庭で
夜のシーン・・・?

積み木
創作物の結晶(映画作品など)

扉の「我を学ぶものは死す」
これについては後程



まあ、こういったことは表面的なことなので、本質的な部分とはまた違うというか。
本質的な部分と、関連するかもしれないししないかもしれないといったところだと思います。


積み木はいろいろ考え込むとむずかしいんですが、パッとみた感じ、
(創作)世界というバランスを保つということを直接的に表現しているという感じでしょうか。
自作をつみあげることの難しさ……みたいな。


余談 全体的な内容についての考察
「君たちは」は、かなり複合的な作品だと思います。

喪失と鬱屈と受容の物語(表面的なライン)
物語創作についての話(異世界での話)
意識と無意識の話
生と死の話
つながり(継承)の話
残酷で美しい世界の肯定
おかあさん祭り


物語についての物語、という部分が大きいですね。
たとえば、魚を釣る人と、食べることしかできない存在。
これは「アイデアを料理できる人」と「それを使う人(アニメーター、あるいは観客)」
という解釈も成り立つのかなと思います。

たとえば、トトロとくらべると、ずいぶん複合的なんですよね。
起こる出来事がどれもつながりが少なく
よってシンプルだとは言いづらく
さらにいろいろごちゃ混ぜになっているため、解決も難しく
エンターテイメント性は低い……と言わざるを得ないのかなと思います。

物語についての物語……というのを、多くの人が楽しめるのか、結構難しいラインだと思います。
トトロなんかは、主人公の冒険にフォーカスが寄ってますが
「君たちは」は思考実験的要素が強く、好き嫌い分かれそうですね。

新しいことに挑戦している(無意識を描こうとしている)ように感じたところは
それだけでも全然評価できると思います。

トトロなんかは、メッセージ性は少ないんですが
ナウシカやもののけ姫並に、メッセージ性(寓話性)の高い話かな……と。


宮崎駿さんは、お母さんが大好きだという事はよくわかりました。笑
同時に、見捨てられ不安というのがあるのかな、という印象も受けましたね。

③メタファーとファンタジーとインナーワールド(潜在意識)

そういう感じで感想を続けると、今回もメタファー(隠喩)はけっこうあるんじゃないかなというか
そういう風にもみれると思います。
ペリカン、わらわら、セキセイインコなどメタファーになっているっぽいですね。
それも複数の隠喩が一つの存在(セキセイインコやサギ)の中で入れ替わったりしている感じもある。

とはいえそれは観客が見て考えることであり、
メタファーという意識をとっぱらってみれば、純然たる?ファンタジー作品として存在しているわけですよね。

ここらへんをどうとらえるのかは難しいです。
トトロなんかは、トトロやまっくろくろすけにファンタジー(空想、想像)的なもの以外のメタファー(隠喩 例えばトトロが宮崎駿自身)をなにか感じるところがあるとしたら、それはそれで間違ってはいないと思うんですが、どちらかというと作り手はそれを意識せずにメタファーっぽいものが作品に「入り込んだ」んだとおもいます。

ところが、紅の豚の「豚」や千と千尋の「豚」は明らかに「意識されたメタファー」という感じを受けます。

さらに今回ややこしいのは、インナーワールドっていう感じがある点です。
内的宇宙、夢の世界、幻想世界、精神世界、潜在的無意識の世界。
そういった世界が展開されている感じがして、誰かの夢をみている感じが面白かったです。

とくに、主人公に対して「話される言葉」
つまり、主人公に話しかける人ですね。
これは、主人公が「このひとだったらこういう風にいうかも」というセリフのようにも聞こえてくる節がありました。
魔女宅のキキに対するジジみたいな。
それって、主人公の「内的世界」ですよね。
そもそもが創作物なので、もしそういう描写があるとすれば入れ子構造になるわけですが
主人公のインナーワールド(同時に宮崎駿のインナーワールド)という感じを受けました。



④ファンタジーや創作物の存在意義とは?

次に、ファンタジーや創作物の存在意義とは?について。
メタファーでも空想でもインナーワールドでもいいんですが
結局、そのファンタジーを通じて、主人公はどんな体験をするのか?ということですよね。
今作では、主人公が、生と死というものを肌で体感するということが多かったと思います。
食べる、食べられるの関係が特に色濃く出ているように思いました。
さらに、墓に埋めるというのや、食べられかけるというのもありました。

こういった体験を通して、主人公は生と死、さらに食物連鎖を考えるということがあったと思います。
つまり、世界とのつながりです。
これはすでに「君たちは」の岩波の「本」のなかの「人間分子」や「生産関係」として
描写されていることに通じるものがあると思います。

さらには人間との関わり。
大叔父さんとの出会いやお母さんとの出会い、
それらはすべて実際に会ったことかのように作品内では語られていますが
とはいえいってしまえばすべて幻想かもしれません。

創作物も、現実世界から影響を受けた、想像の産物ですよね。
それをみて、そこの世界に触れて、人々は癒されたり考えさせられたり、
何か「現実」に持って帰るものがあるんですが、
とくに文芸作品や映像作品というのは「いずれ忘れてしまうもの
(ずっと心に残ることもありますが)という側面が大きいと思います。


いずれ忘れてしまうものといえば、千と千尋でも描かれていました。
千尋は油屋での体験を忘れてしまう。
ただし、現実世界でも残るものがあるのです。

それが、千と千尋では、最後に光る髪留めが象徴的にあり
(成長や労働、すべての湯屋での体験、さらには友情や冒険などの証としての物)
今回は「自分という存在があるきっかけ」だったりするんです。
さらには、あの石の積み木が、すべてを忘れたとしても、なくし得ないものとして象徴的に存在している。
(創作物の)世界自体が壊れてしまっても、すべてを忘れてしまっても
残るものがある。
千と千尋と似たような存在として積み木はあったのだと思います。


つまり、本作での「君たちはどう生きるか」という本は自己の存在そのものにまで深く関わるものである、という事だと思います。
実際、君たちは~の本を読み(これはおかあさん自身も子供~大人の段階で読んでいるでしょう)
変化した主人公。
主人公の支えになるようにと思って本を授けたお母さん。

創作物が二人の間をつないでいるんですね。

これって創作の大肯定だし、宮崎さんが影響を受けた創作物、
ひいては自分が作ってきた映画の肯定、という事でもあると思うんですよね。

あの世界自体が、宮崎さんの世界、宮崎ワールドそのものだったと思うんですよね。
キリコの絵だったり、マグリッドっぽい石だったりが存在していて
それは宮崎駿本人とは違う、ともいえるんですが
そういった創作物の影響を受けたものとしての内的宇宙ともいえそうです。
だから、インナーワールドという感じがしました。

でも、その創作物はなんでもいいってわけじゃなく
やはり、自分が価値を感じられるものっていう線引きは、あるかもしれませんが。
悪意のない石?の積み木を見つけた、みたいなことを大叔父さんはいっていましたね。


つまり、積み上げている作品(宮崎作品)以外にも、良い作品というのはある、
そういうものを使って世界を創造(良い作品を原作に映画を作る)ことをすれば
ジブリという世界はまた復活できる、というようなことですよね。

主人公が、積み上げることを拒絶したことよりも
「世界には良い作品がまだまだ眠っている」ということを伝えてくれた点、
創作物への愛情というのが見えて、なんだかよかったなと思いました。

とはいえ、インナーワールドは、結局拒絶により崩壊してしまう。
これは「物語から抜け出して現実に戻る(れ)」というメッセージとも取れます。
だから、そこをして、物語を否定しているのか?といわれると
否定しながらも、でもそこで得るものがあるんだから、肯定できる部分は大いにあるという事だと思います。



風立ちぬだと、創作物(戦闘機)が抱える運命もあってか結構悲観的でしたが……それでも創作自体は肯定している感じがありましたし今回は特に、肯定している感じがありました。

見に行く前は、はてしない物語みたいな感じになるんじゃないかなと思ってましたが
当たらずしも遠からず(はてしない物語は、ファンタジー世界に入り込んだ男の子が
そこでの体験を持ち帰り
現実世界を豊かにするという内容)だったかなと思いました。

また、創作活動の光と闇というか、空想にあまりに耽溺してしまうと、現実を無視する「逃避」としての側面のみになってしまう。
現実に照射するものとしてファンタジーは存在するべきだというような考え方。
ここらへんは、はてしない物語でも語られているし、トールキンなん話していることです。
大叔父さんは創作物(あの世界)の創造主、つまり神になっているわけで
神話的にとらえると、創造主ってことになると思うんですが
それは創作活動においても、置き換わる話ですね。



我を学ぶものは死すについて。
つまり、おれの真似をしたら死んじゃうよってことだと思います。
特に、映画監督になりたいとか、アニメーション監督になりたいとか
そんなふうに考えても、なかなか到達できるものではないし
さらに言えば、作品そのものについてでもあると思うんですよね。
似たようなものを作っても、面白いものにはならないよ、と。


これってつまり、成功者がのんきに
「みんな俺の真似をすればいいんだよ、そうすれば成功するよ」みたいなことを言うのとは
真逆のことを言っているわけですよね。

そんなに簡単にうまくいくとは思っていないし
そもそも、創作活動をそういう表面的な「成功」を元に行うことへの疑問視というか。

これは、簡単に目指したりするのはよせ、という、宮崎駿のやさしさでもあると思うんですよね。


「君たちは」の物語の作りについて


結構哲学的な作りになってることって多いと思うんですよね。
例えばポニョでは、ポニョが無自覚に洪水をおこしますが
大洪水を起こす存在、そういう存在でも生まれてきてよかったのか?
ということが裏テーマとして存在していると思うんですよね。
(ポニョ自身をどうとらえるのか? 無垢な残虐性をどう受け止めるか)


風立ちぬでは
人殺しの兵器として使われる飛行機を、創造してよかったのか?
という意識が入っています。
(創造するという事と創作物は別だし、さらにそれがどう使われるのかは別、
だけどやはり不可分なものとして存在してしまうことへの葛藤)


つまり、デカルトが「すべてを疑った時、それでも考えている私 は残る」という「われ思う、ゆえに我あり」的な思考実験があるんですよね。

創作活動の否定的な側面を描いていって、創作自体を否定し、無価値なものとみなしたとしても
なお残るものは何か?ということです。
風立ちぬはどちらかというと、こういう否定的側面から創作を考え
本作「君たちはどう生きるか」では、肯定的側面と否定的側面の両方から
創作することの価値や意味を模索する、ということがあったと思います。

もののけ姫、ナウシカの漫画版、ポニョ、風立ちぬ、本作には
そういう印象を特に強く感じます。

テーマ的には「生の肯定」で、これまでの作品とだいぶ似通ってる部分はあるのかなと思います。

⑤生きている以上、誰もが誰もと関わっている
それは、誰かに生かされているということだし
誰かを生かすことでもある(つながっている)ということ


何か失敗を犯すこともあるけど、立ち直ることもできるということ
しかも、これからもまた、間違えるかもしれない。それも受け入れようと。

あんまり深くは語らなくてもいいと思いますが、
そういう印象を受けました。
大叔父さまから建物が代々つたわっていて、
それは創造世界だけじゃなく、本という部分でしっかりつながっていた。
さらに、血縁、人間関係、食の関係、いろんな関係性が描かれていた本作。

わかりにくい、という感じもあるし、ラスト盛り上がりに欠ける、という事もありますが
逆に言うと、そういう盛り上がりがなくとも、
響く作品になっていたこと、また、年齢が年齢でありながら
きちんと作品と向き合い仕上げたこと、とても素晴らしいと思います。


みなさんはどう感じたでしょうか?


暑い日が続きますが、お体にお気を付けください。


いろいろ途中で書き足したりしているため、長い&ややこしい感じになってるかもしれませんが
とりあえず、書きたいことは書けたと思います。
閲覧ありがとうございました。(*^-^*)


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