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ネタバレあり ジブリ映画『君たちはどう生きるか』 考察と感想

『君たちはどう生きるか』を見てきました。

ネタバレなしの感想としては
「(いい意味で)やってくれたな、宮崎駿(さん)」というものでした。

原作小説というか、企画の出発点になった吉野源三郎の小説は、映画化が決まった段階で読んでたんですが、小説も良いです。
映画は、かなりの熱量がこもっていて、そこが良かったです。
ジョーカー以来の映画感想になりますが、あれで終わってはいけない笑

ただし、万人にお勧めできるのかといわれると、そこは疑問です。
あくまで、自身の判断で見に行くか決めることをおすすめします。

以下はネタバレありの感想になるので、注意です。

ジブリ制作側が何の予備知識もなく見れる状況をあえて整えてくれています。 そのため、ジブリが好きで観劇予定の方はなんの予備知識もなしに見に行かれることをお勧めします


現段階でのジブリ作品(関連)評価順です。
ジブリ作品はほとんど見ています。


ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)




さて、ネタバレ注意君(+_+)も出しておいたので、ここからは本当にネタバレで書いていきます。
一応もう一度。


ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)



はい、ここからは、見た方だけでお願いしますね。(*^-^*)

いいですか、見た方だけですよね。
まだ見てない方はいないですね?

じゃあ、少しずつ話していきます。



目次
全体的な評価
感動したポイント
好きなシーン
①宮崎駿の尽きない情熱について
音楽について一言
アニメーション(内容)について
②高畑勲や鈴木敏夫や手塚治虫
余談 引用元の話
余談 全体的な内容についての考察
③メタファーとファンタジーとインナーワールド
④ファンタジーや創作物の存在意義とは?
「君たちは」の物語の作りについて
⑤生きている以上、誰もが誰もと関わっていてる。


全体的な評価 

まず、全体的な評価をしたいと思います。
評価なんていうのはおこがましいですが、ひとまず大体の感想を伝えないことには
わかりにくいと思うので。

巷では賛否分かれているみたいですが
僕は絶賛、星5評価でいうと星5の立場を取りたいと思います。

この作品は確かに色々わかりづらく、説明も少ないです。
それだけに、見ごたえがあり、解釈にも幅がある作品だと思います。
魔女の宅急便だとかカリオストロ、ラピュタ、ナウシカ、トトロのようなわかりやすいものではなく
(一部わかりづらいシーンや説明されないシーンもありますが)
ハウルのようなわかりづらさがあります。
(ちなみに僕はハウルは原作が好きなせいもあり、映画を観る前に本を読んだということもあってか、けして嫌いじゃないんですが、他の宮崎作品ほど高く評価していません。)
そして、そのわかりづらさは、宮崎駿自身について知ったり、宮崎作品を繰り返し見ること、また本作を繰り返し見ることによって緩和されるものだとは思いますが
究極的に理解できたり解決されることはない、と思います。

それは、他人に対してわからないことがあったり、理解できないことがあったり
他人どころか、自分に対してもわからないところがあるのと同じです。

このような難解さは昨今敬遠されがちですが、
そこにあえてふみこんでいった監督と本作はすばらしいものだと感じましたし、
わかりづらいから素晴らしいというのではなく
わかりづらいなりに、こころに訴えかけてくるものがあるというのが
すごいな、とおもいました。
理屈を超えてきているんですね。



いろんな見方ができると思いますが、ひとつ道筋を見つけるとすれば、やはりアニメーション創作についての話なのかな、と。

一番重要なのは、自分のお母さんをちゃんと出してきて
そのお母さんを書く!ということをやってくれたことです。
ラピュタやその他の作品でも、宮崎さんの母のモデルはたくさん出てきてると思いますが
完全に「母」として出てきた(それも二人に分けて)のは今作初だと思いますし
抱えていた思いに向き合って描いたのは、素晴らしいと思います。

風立ちぬが「父」寄りだったとすれば、今回は「母」寄りで、そういう意味も含めて
二つで1つの作品という印象があります。

個人的に本作は楽しめました。
ただ、万人におすすめできるかと言われると難しく
見て損はないと思いますが、子どもが手放しで楽しめるかというと
少し難しい気もします。
子どもは子どもで楽しめるシーンはあるとは思うんですが
つまらないと感じるであろうシーンも多々ありそうで
これはまあ大人にとってもそうなんですが、万人にオススメするのは難しいですね。

おそらく、面白がらせて、面白かったから素晴らしい、という視点を観客(友達)に排させる
というのがある気がするんですよね。
面白いかつまらないかだけで判断させない作りになっているから
ウェルメイドで最後盛り上げることはいくらでもできる宮崎駿が
今回はそういう手法からは脱却してみせた、ということなんじゃないかな……と。
そういうわけで、わかりにくいという感想もわかりますし、今作がつまらないという意見があっても、もっともだと思います。

自分で考えろという、ある種説教っぽい部分があるんですよね。
主人公が自分の頭で考え行動するようになるというのは、テーマに沿った話だなと思いました。



感動したポイント

①鬱屈とした気持ちを抱える主人公(宮崎駿)

②「君たちはどう生きるか」という「本」を偶然開く。
母親から託された本だった。主人公に影響を与える。

③本から影響を受け、主人公は世界との対峙の仕方を変化させる。
(逃げずに向き合おうとする、など)

④異世界において母親と出会う。

⑤変化した主人公が、本を読んだ姿勢のまま自分や他者、世界と向き合うことで
母親が現実に帰るきっかけになった。

⑥母親は主人公を生み
やがて火事で死んでしまうことを知るが
その運命を受け入れ現実に帰る。

⑦帰る時主人公は、母親は運命を受け入れたと知る。

⑧そして現実に帰った母親は
「君たちはどう生きるか」という本を主人公に託そうとしていた
(これはそもそも、本好きであった大叔父の影響が強かったようだ)




以下、①へループ

現実にもどれたおかげで、母親は息子を生み「君たちはどう生きるか」という本を託す。
「君たちはどう生きるか」をよんだおかげで、息子(主人公)に変化が起こる。
息子に変化が起きたことで、母親は現実に帰ろうという決心をする。

つまり、母親は「君たちはどう生きるか」という本を息子に託したことにより現実に戻れた。
息子は「君たちはどう生きるか」を読んだことで、母親を現実に返すきっかけをつくり
生まれることとなった。

ちょっとややこしいですが、つまり因果関係がつながっていて
お互いがお互いを助ける存在となっている、と思いました。

ここらへんの因果関係は、実はハウルでじっくり見せたかった(あるいはやったけどなかなか伝わりづらかった)部分なんじゃないかなと思います。
(ハウルがカルシファーを捕まえる。
心臓を与える代わりにカルシファーを使役するようになったハウル。
カルシファーのおかげで城を動かせる魔法使いになったハウル。ただし心臓はない。
ハウルが城を動かしたおかげで、ソフィーはハウルと出会う
ハウルと出会ったおかげでソフィーの呪いがとける
その結果、心臓をとりもどせるハウル。
ハウルが心臓を取り戻したと同時に、命を与えられ自由になったカルシファー
たしか本はこんな感じの因果だったかと……。映画ではもうひとひねりあったような…。)


まあそんな感じで本作の感想に戻ると、まだ本作の方がわかりやすいし、
現にヒミさん(お母さん)と主人公が出会い活動するのがいいですね。


そこらへんをあえて説明せずにわかりづらくしたことに価値や意味があったのか…と言われると
もう少しわかりやすいものにしてもよかった気がしますが
それだと説明台詞的なものを入れ込む必要も出てしまうでしょうし
簡単に理解させたくない……というような気持ちもあるような感じがします。

とはいえ何回か見たら、わからなかったところがわかるようになる、という部分は確実にあると思うし、それはある種のサービスなんじゃないかな、と思います。


何度も見て楽しむ人にとっては飽きにくいものになっていて
それは宮崎駿の「簡単には消費されないぞ」という意志でもあると思うし
「何度も見て楽しんで」というサービスでもあると思うんです。

大人で、一度見て「あー面白かった」で終わる人にとっては不向きというか
そういう風潮に対する挑戦的な姿勢を感じました。



好きなシーン
冒頭の走り(寝巻のままでいいんだよ)
コイのシーン
花火があがるシーン
てへぺろするインコ
おいしそうなパン
ありえない状態で積みあがっている積み木
千と千尋の最初のトンネルのような、キリコの絵のような通路を歩くシーン
最期ドアを開けて元の世界に戻るシーン

まあこのあたりでしょうか。
コイとカエルのシーンなど、序盤のサギのシーンはどれも圧巻。
てへペロするインコが、不気味でありながらチャーミングで、なんかすごくいい味出してました。


①宮崎駿の尽きない情熱

まず、宮崎駿の情熱を感じられたのがなにより大きかったかな、と思います。
風立ちぬで終わるかと思いきや、まだこれだけのものを作れるというのはすごい。
風立ちぬで、創作は終わりかな……という感じを出ていたのに
今回 いや、まだまだやるぞ、という感じがあった。
そこに驚かされました。
個人的に、宮崎映画というのは、高畑映画へのアンサーという部分があるんじゃないかと思います。
同時に、高畑映画は宮崎映画へのアンサーとなっている部分がある。
例えば、高畑さんがぽんぽこをかけば、おなじ舞台で耳をすませばを企画する。
もののけ姫の「生きろ」に対し、「適当」の山田君。
こういう感じで、お互いがお互いの作品に影響しあっている感じはありました。

その流れでいうと、かぐや姫の物語に対するアンサーとして
「君たちはどう生きるか」があるのかと思いました。
だけど、実はもう、かぐや姫のアンサーとして風立ちぬをやっていた。
風立ちぬがかぐや姫のアンサーとして成立していた。
じゃあ今回の君たちは、はかぐや姫のアンサーではないのかといわれるとそうでもなく、
つまりアンサーな部分はあると思います。
今回はかぐや姫のアンサーとしての風立ちぬをまた違う角度で描くとともに
「じゃあどういう作品を作るのか?
(作ったのか? それらの作品はどういう価値、意味をもったのか?)」に対する
一つの答えを出したと思います。

あたらしい表現というのが難しいのではないかなと思っていましたが、
冒頭あたりはかぐや姫の荒々しいタッチのアニメーション味がありましたし
(古くはクラック!にもみられるような)
そういう意味ですでにアンサーになっていましたね。

音楽についてひと言
音楽でも、久石譲さんでしたが、かぐや姫の時の月光をアレンジした音楽っぽい曲が多く
(姫が上京したてのシーン)
場面になじむような音楽の使われ方をしていましたね。
今までの宮崎作品のような、音楽で作品自体を表現するというより寄り添うような音楽の使われ方でかなり控えめな印象を受けました。
その分、アニメーションへの集中というのはありましたが……個人的には
もう少し、いままでらしさがあっても良かったのでは、という感じがします。
今までに比べほとんど印象に残っていないので……。
風立ちぬまでは、音楽、印象的でした。
でも、これもかぐや姫へのアンサーの一つな気がします。

アニメーション(内容)について

アニメーションについて話が戻りますが、
宮崎駿らしさはありつつ、今まであまり描いていなかった「鳥」というのが随所に出てきました。
宮崎駿といえば豚だったんですが、鳥になったことでだいぶ見え方は違ってましたね。
もちろんモチーフとして別というのもあるとは思うんですが
やはり飛べるというのが大きいですね。
飛べる、自由、解放、みたいな。

そこらへんは往来のメーヴェだったり飛行する乗り物だったりで
共通点はあると思うんですが、鳥を出してきたのは新鮮味がありました。
ところが、その飛べるはずのペリカンが捕らわれている。
抜け出せないというのは意味深でしたね。

結構残酷というか、暴力的だったり生々しい描写も時々存在してましたが、
そこらへんは宮崎駿の今までの感じがあったりしましたね。

内容の核心的な部分に触れていきますが、
今回は宮崎駿がかなり、自分の過去や内面をさらけ出していると感じました。
醜い部分も出す。
弱い自分も出す。
さらには潜在意識にまで理解を深め、そこも描く。
自分自身と向き合った話で、ある意味私小説的内容です。

紅の豚などはまだかっこつけている感じがありましたが、今回は特にさらけ出す。
風立ちぬと今回の君たちはで、とくにそれを感じました。

その流れでいうと、宮崎さんのお父さんの仕事の関係など、
心中複雑な葛藤をずっとかかえて生きてきた幼少~青年期の自己存在に対する理解の欲求や世界に対する関心、熱量が創作の意欲につながっているのかなという感じがします。

そして、この「自己」や「世界」というものに対して社会学的見地から
光明を与えてくれる本が「君たちはどう生きるか」でもあったと思います。

アニメーション技法だと、群衆、大群シーンが迫力出てましたね。
とはいえ、やはりポニョなどの方が、迫力はあったかなぁ……。
本作は、アニメの動きよりも、内容重視の感じはしましたね。


②高畑勲や鈴木敏夫や手塚治虫

うーん、難しいんですが、彼らが宮崎駿に影響を与えていたというのはあると思うんですね。
とくに今回のサギ男ですが、やはり手塚作品に出てくるお茶の水博士(猿田彦)を連想しました。
手塚先生自身も鼻にコンプレックスがあったのか、自画像は鼻を大きく書いています。
つまり、猿田彦=お茶の水博士=手塚先生の分身、ということがいえると思うんですよね。
宮崎さんにとって手塚さんの存在はかなり大きかったもののはずで、
師であると同時に敵視した存在だとも思うんですが、結局今回徐々にお互いの存在を認め
和解し友達になった、ということなのでは、というような印象です。
これは本当に個人の解釈なので、
手塚さんそのものかといわれると、実は鈴木さんっぽくもあり
ちがうかもしれないし、そうかもしれないし……。

あくまで、映画の考察&感想(印象)なので
みなさんそれぞれの感想を大事にされて
それぞれの解釈で捉えていただいた方がいいと思います。
ここに書いてあることはすべて、個人の気軽な感想として受け取ってもらえると幸いです。笑

大オジ様は高畑勲という感じがしましたが、やっぱり宮崎駿の分身でもあると思うんですよね。



余談 引用元の話
今回は、引用というのがふんだんにある感じがしましたね。
感じた部分を思い出せる範囲で……。
まず宮崎作品自身からの引用はあまりに多くあると思うので
そこは省いた感じで見ていきたいと思います。

マグリッドやキリコの絵
死の家
絵画的部分ですね。
糸杉はゴッホにも通じているんでしょうか。
風立ちぬでも、絵画の引用はありましたね。

注文の多い料理店
セキセイインコたちの家?に入るところ

灯籠あげ
わらわらが上がっていくところ
らせんに上がっていくのは、DNAっぽさも感じました。

シンゴジラ?
あの石が、シンゴジラ成体(赤)の体表のように見えましたが
たぶん関係ないでしょう……笑

ゲド戦記
船がたくさんのシーンや漕ぐシーンなんかは、なんだかゲド戦記、影との戦いラストっぽさ(本)を感じました。

サギ
やはり前作に続き、序盤の鳥のシーンは、ファウストのメフィストフェレスっぽさを感じましたね。
創作世界に誘う存在として、やはり「先人クリエイター」という事だと思います。
手塚先生はファウストを3回ほどやき直していたはずです。


ペリカン
これは、アニメーターですかね。
現実に帰れなくなった、というのも、だいぶ思わせぶりですね。
最後帰れてよかった。


ハリーポッター
暖炉からでてくるシーンは、ハリーポッターっぽさを感じました。
ハウルからかもしれませんが……。


トムは真夜中の庭で
夜のシーン・・・?

積み木
創作物の結晶(映画作品など)

扉の「我を学ぶものは死す」
これについては後程



まあ、こういったことは表面的なことなので、本質的な部分とはまた違うというか。
本質的な部分と、関連するかもしれないししないかもしれないといったところだと思います。


積み木はいろいろ考え込むとむずかしいんですが、パッとみた感じ、
(創作)世界というバランスを保つということを直接的に表現しているという感じでしょうか。
自作をつみあげることの難しさ……みたいな。


余談 全体的な内容についての考察
「君たちは」は、かなり複合的な作品だと思います。

喪失と鬱屈と受容の物語(表面的なライン)
物語創作についての話(異世界での話)
意識と無意識の話
生と死の話
つながり(継承)の話
残酷で美しい世界の肯定
おかあさん祭り


物語についての物語、という部分が大きいですね。
たとえば、魚を釣る人と、食べることしかできない存在。
これは「アイデアを料理できる人」と「それを使う人(アニメーター、あるいは観客)」
という解釈も成り立つのかなと思います。

たとえば、トトロとくらべると、ずいぶん複合的なんですよね。
起こる出来事がどれもつながりが少なく
よってシンプルだとは言いづらく
さらにいろいろごちゃ混ぜになっているため、解決も難しく
エンターテイメント性は低い……と言わざるを得ないのかなと思います。

物語についての物語……というのを、多くの人が楽しめるのか、結構難しいラインだと思います。
トトロなんかは、主人公の冒険にフォーカスが寄ってますが
「君たちは」は思考実験的要素が強く、好き嫌い分かれそうですね。

新しいことに挑戦している(無意識を描こうとしている)ように感じたところは
それだけでも全然評価できると思います。

トトロなんかは、メッセージ性は少ないんですが
ナウシカやもののけ姫並に、メッセージ性(寓話性)の高い話かな……と。


宮崎駿さんは、お母さんが大好きだという事はよくわかりました。笑
同時に、見捨てられ不安というのがあるのかな、という印象も受けましたね。

③メタファーとファンタジーとインナーワールド(潜在意識)

そういう感じで感想を続けると、今回もメタファー(隠喩)はけっこうあるんじゃないかなというか
そういう風にもみれると思います。
ペリカン、わらわら、セキセイインコなどメタファーになっているっぽいですね。
それも複数の隠喩が一つの存在(セキセイインコやサギ)の中で入れ替わったりしている感じもある。

とはいえそれは観客が見て考えることであり、
メタファーという意識をとっぱらってみれば、純然たる?ファンタジー作品として存在しているわけですよね。

ここらへんをどうとらえるのかは難しいです。
トトロなんかは、トトロやまっくろくろすけにファンタジー(空想、想像)的なもの以外のメタファー(隠喩 例えばトトロが宮崎駿自身)をなにか感じるところがあるとしたら、それはそれで間違ってはいないと思うんですが、どちらかというと作り手はそれを意識せずにメタファーっぽいものが作品に「入り込んだ」んだとおもいます。

ところが、紅の豚の「豚」や千と千尋の「豚」は明らかに「意識されたメタファー」という感じを受けます。

さらに今回ややこしいのは、インナーワールドっていう感じがある点です。
内的宇宙、夢の世界、幻想世界、精神世界、潜在的無意識の世界。
そういった世界が展開されている感じがして、誰かの夢をみている感じが面白かったです。

とくに、主人公に対して「話される言葉」
つまり、主人公に話しかける人ですね。
これは、主人公が「このひとだったらこういう風にいうかも」というセリフのようにも聞こえてくる節がありました。
魔女宅のキキに対するジジみたいな。
それって、主人公の「内的世界」ですよね。
そもそもが創作物なので、もしそういう描写があるとすれば入れ子構造になるわけですが
主人公のインナーワールド(同時に宮崎駿のインナーワールド)という感じを受けました。



④ファンタジーや創作物の存在意義とは?

次に、ファンタジーや創作物の存在意義とは?について。
メタファーでも空想でもインナーワールドでもいいんですが
結局、そのファンタジーを通じて、主人公はどんな体験をするのか?ということですよね。
今作では、主人公が、生と死というものを肌で体感するということが多かったと思います。
食べる、食べられるの関係が特に色濃く出ているように思いました。
さらに、墓に埋めるというのや、食べられかけるというのもありました。

こういった体験を通して、主人公は生と死、さらに食物連鎖を考えるということがあったと思います。
つまり、世界とのつながりです。
これはすでに「君たちは」の岩波の「本」のなかの「人間分子」や「生産関係」として
描写されていることに通じるものがあると思います。

さらには人間との関わり。
大叔父さんとの出会いやお母さんとの出会い、
それらはすべて実際に会ったことかのように作品内では語られていますが
とはいえいってしまえばすべて幻想かもしれません。

創作物も、現実世界から影響を受けた、想像の産物ですよね。
それをみて、そこの世界に触れて、人々は癒されたり考えさせられたり、
何か「現実」に持って帰るものがあるんですが、
とくに文芸作品や映像作品というのは「いずれ忘れてしまうもの
(ずっと心に残ることもありますが)という側面が大きいと思います。


いずれ忘れてしまうものといえば、千と千尋でも描かれていました。
千尋は油屋での体験を忘れてしまう。
ただし、現実世界でも残るものがあるのです。

それが、千と千尋では、最後に光る髪留めが象徴的にあり
(成長や労働、すべての湯屋での体験、さらには友情や冒険などの証としての物)
今回は「自分という存在があるきっかけ」だったりするんです。
さらには、あの石の積み木が、すべてを忘れたとしても、なくし得ないものとして象徴的に存在している。
(創作物の)世界自体が壊れてしまっても、すべてを忘れてしまっても
残るものがある。
千と千尋と似たような存在として積み木はあったのだと思います。


つまり、本作での「君たちはどう生きるか」という本は自己の存在そのものにまで深く関わるものである、という事だと思います。
実際、君たちは~の本を読み(これはおかあさん自身も子供~大人の段階で読んでいるでしょう)
変化した主人公。
主人公の支えになるようにと思って本を授けたお母さん。

創作物が二人の間をつないでいるんですね。

これって創作の大肯定だし、宮崎さんが影響を受けた創作物、
ひいては自分が作ってきた映画の肯定、という事でもあると思うんですよね。

あの世界自体が、宮崎さんの世界、宮崎ワールドそのものだったと思うんですよね。
キリコの絵だったり、マグリッドっぽい石だったりが存在していて
それは宮崎駿本人とは違う、ともいえるんですが
そういった創作物の影響を受けたものとしての内的宇宙ともいえそうです。
だから、インナーワールドという感じがしました。

でも、その創作物はなんでもいいってわけじゃなく
やはり、自分が価値を感じられるものっていう線引きは、あるかもしれませんが。
悪意のない石?の積み木を見つけた、みたいなことを大叔父さんはいっていましたね。


つまり、積み上げている作品(宮崎作品)以外にも、良い作品というのはある、
そういうものを使って世界を創造(良い作品を原作に映画を作る)ことをすれば
ジブリという世界はまた復活できる、というようなことですよね。

主人公が、積み上げることを拒絶したことよりも
「世界には良い作品がまだまだ眠っている」ということを伝えてくれた点、
創作物への愛情というのが見えて、なんだかよかったなと思いました。

とはいえ、インナーワールドは、結局拒絶により崩壊してしまう。
これは「物語から抜け出して現実に戻る(れ)」というメッセージとも取れます。
だから、そこをして、物語を否定しているのか?といわれると
否定しながらも、でもそこで得るものがあるんだから、肯定できる部分は大いにあるという事だと思います。



風立ちぬだと、創作物(戦闘機)が抱える運命もあってか結構悲観的でしたが……それでも創作自体は肯定している感じがありましたし今回は特に、肯定している感じがありました。

見に行く前は、はてしない物語みたいな感じになるんじゃないかなと思ってましたが
当たらずしも遠からず(はてしない物語は、ファンタジー世界に入り込んだ男の子が
そこでの体験を持ち帰り
現実世界を豊かにするという内容)だったかなと思いました。

また、創作活動の光と闇というか、空想にあまりに耽溺してしまうと、現実を無視する「逃避」としての側面のみになってしまう。
現実に照射するものとしてファンタジーは存在するべきだというような考え方。
ここらへんは、はてしない物語でも語られているし、トールキンなん話していることです。
大叔父さんは創作物(あの世界)の創造主、つまり神になっているわけで
神話的にとらえると、創造主ってことになると思うんですが
それは創作活動においても、置き換わる話ですね。



我を学ぶものは死すについて。
つまり、おれの真似をしたら死んじゃうよってことだと思います。
特に、映画監督になりたいとか、アニメーション監督になりたいとか
そんなふうに考えても、なかなか到達できるものではないし
さらに言えば、作品そのものについてでもあると思うんですよね。
似たようなものを作っても、面白いものにはならないよ、と。


これってつまり、成功者がのんきに
「みんな俺の真似をすればいいんだよ、そうすれば成功するよ」みたいなことを言うのとは
真逆のことを言っているわけですよね。

そんなに簡単にうまくいくとは思っていないし
そもそも、創作活動をそういう表面的な「成功」を元に行うことへの疑問視というか。

これは、簡単に目指したりするのはよせ、という、宮崎駿のやさしさでもあると思うんですよね。


「君たちは」の物語の作りについて


結構哲学的な作りになってることって多いと思うんですよね。
例えばポニョでは、ポニョが無自覚に洪水をおこしますが
大洪水を起こす存在、そういう存在でも生まれてきてよかったのか?
ということが裏テーマとして存在していると思うんですよね。
(ポニョ自身をどうとらえるのか? 無垢な残虐性をどう受け止めるか)


風立ちぬでは
人殺しの兵器として使われる飛行機を、創造してよかったのか?
という意識が入っています。
(創造するという事と創作物は別だし、さらにそれがどう使われるのかは別、
だけどやはり不可分なものとして存在してしまうことへの葛藤)


つまり、デカルトが「すべてを疑った時、それでも考えている私 は残る」という「われ思う、ゆえに我あり」的な思考実験があるんですよね。

創作活動の否定的な側面を描いていって、創作自体を否定し、無価値なものとみなしたとしても
なお残るものは何か?ということです。
風立ちぬはどちらかというと、こういう否定的側面から創作を考え
本作「君たちはどう生きるか」では、肯定的側面と否定的側面の両方から
創作することの価値や意味を模索する、ということがあったと思います。

もののけ姫、ナウシカの漫画版、ポニョ、風立ちぬ、本作には
そういう印象を特に強く感じます。

テーマ的には「生の肯定」で、これまでの作品とだいぶ似通ってる部分はあるのかなと思います。

⑤生きている以上、誰もが誰もと関わっている
それは、誰かに生かされているということだし
誰かを生かすことでもある(つながっている)ということ


何か失敗を犯すこともあるけど、立ち直ることもできるということ
しかも、これからもまた、間違えるかもしれない。それも受け入れようと。

あんまり深くは語らなくてもいいと思いますが、
そういう印象を受けました。
大叔父さまから建物が代々つたわっていて、
それは創造世界だけじゃなく、本という部分でしっかりつながっていた。
さらに、血縁、人間関係、食の関係、いろんな関係性が描かれていた本作。

わかりにくい、という感じもあるし、ラスト盛り上がりに欠ける、という事もありますが
逆に言うと、そういう盛り上がりがなくとも、
響く作品になっていたこと、また、年齢が年齢でありながら
きちんと作品と向き合い仕上げたこと、とても素晴らしいと思います。


みなさんはどう感じたでしょうか?


暑い日が続きますが、お体にお気を付けください。


いろいろ途中で書き足したりしているため、長い&ややこしい感じになってるかもしれませんが
とりあえず、書きたいことは書けたと思います。
閲覧ありがとうございました。(*^-^*)


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YOUTUBEで投稿はじめました!(*^-^*)

みなさんいかがお過ごしでしょうか。
大変な季節がやってきましたね(:_;)
色々なことに気を配ってお過ごしください。

ブログの内容をYOUTUBEで投稿しはじめました(*^-^*)

動画にしてみると、だいぶ雰囲気変わっておもしろい。
よかったら見に来てね~!(^^)! 

https://www.youtube.com/watch?v=cyVDxmaDhvU


チャンネル登録おねがいします!
https://www.youtube.com/channel/UCHALHbJymlSIDNLCAIa18Yw


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映画「JOKER」感想 [映画]

映画ジョーカー見てきました。
演技がすごい!
そして内容、考えることが盛りだくさんな映画でした。

悪とは何か? 正義とは何か? 貧困とは何か? 正常(狂気)とはなにか?
ジョーク(笑い)とは何か? 暴力とは何か? 環境とは何か? 妄想とは何か?

これらの問題が多くのしかかってくる映画です。
こういうことをなぜ監督は描くのか?
ジョーカーという題材で、別の描き方もできたはずです。
何らかの思いがあると思います(ジョークです)

今回は、このジョーカーの感想です。
完全にネタバレありで、見た人向きの記事になっています。
なので、まだ見ていない人は読まないほうがいいです。





ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)
ネタバレ注意!(+_+)









さて、ネタバレ注意君(+_+)も出しておいたので、ここからは本当にネタバレで書いていきます。
とはいえ、あまり本筋を追っていくのはよくないので、本当に見た人はわかるような書き方になっています。
今回結構詳細だよ笑

内容

1ピエロとは何か?ジョーカーのキャラクターについて
2映画「ジョーカー」の謎
3ジョーカー(アーサー)に共感できるか?
4何を描こうとしているのか?
5映画ジョーカーの考察&感想



1ピエロとは何か?ジョーカーのキャラクターについて

ジョーカーのキャラクターについてまずは書きたい。
ジョーカーというのは、バットマンの宿敵ですね。それで、ダークナイトで最近(?)有名になりました。ヒースレジャー演じるジョーカーすごかったですよね。
あれを期待して映画に見に行った人も多いんじゃないでしょうか?


さて、今回の映画、ヒースレジャー版ジョーカーとの違いです。
ヒースレジャー演じるジョーカーというキャラクターは、悪者だけど、何を考えているのかわからないあたりがとても怖い。次に何をしでかすのか、行動が読めない。そのため、バットマンや警察は常に後手に回らざるを得ないのだ。
なぜジョーカーの行動が読めないのか?
それは、ジョーカーに目的らしい目的がないことによるのではないだろうか。
例えば、銀行強盗したと思えば金を燃やす。ボスかと思えば部下を殺す。
こういう具合に、地位とか金とかを目的に行動しているわけではない。
ジョーカーがしていることはバットマンをくじくことで、バットマンがやりたくないことを無理やりさせようとする。
 つまり、ヒーローを悪人に変えるとか、一般市民に殺人を起こさせるというような、人間の倫理、存在を変化させ、悪行を働かせるということを楽しんでいるキャラクターといえる。なので、街を爆破しようとするヴィランなんかより、はるかに行動が読めないというはめに陥る。
ジョーカーは誰も信じず、何物にも屈しない。
また、バットマンに殺人をさせるためなら、自分がバットマンに殺されることもいとわない。
ジョーカーは精神病と認定されるため死刑にすることもできず、精神病院に送り込むしかない。

また、ジョーカーはトランプの裏表、バットマンの裏である、という描き方をされる。バットマンが存在するためにはジョーカーの存在が必要で、ジョーカーが存在するためには、バットマンが必要となる。これはつまり、だいたいにおいて、ヒーローが登場する話には悪役が必要で、悪役が登場(以下略)ということである。
それはそうとして、役としてもバットマンの反対に描かれている。かつ、類似性のあるキャラクターでもある。



笑うジョーカー 笑わないバットマン
人を貶めるジョーカー 人を助けるバットマン
街を(精神性から)破壊しようとするジョーカー 街の発展を求めるバットマン
誰も信じないジョーカー 友人の多いバットマン

似ている点としては
ピエロの扮装をするジョーカー コウモリ男の扮装をするバットマン
暴力に訴えるジョーカー   時に暴力に訴えるバットマン
など・・・・・・。

今回の映画ジョーカーでは、ダークナイトのジョーカーとは違う描かれ方をしていた。それこそ、本当にバットマンとジョーカーが対比するものとして描かれている。

虐待を受ける←→高度な教育
父親が誰かもわからない←→父親は市長候補
貧しい生活←→裕福な生活
悲惨な環境←→恵まれた環境
貧困にあえぐ←→慈善事業に手を出す程度に裕福
不健全←→健全
友達がいない←→友達ができるだろう
コミュニケーションが取れない←→コミュニケーションが取れる
運が悪い←→運がいい

今回の映画ジョーカーで、のちにジョーカーとなるアーサーはこのように、
徹底的にバットマンの逆として描かれている。そして、かれはコメディアンを目指すピエロでもある。


ピエロとは何か?

ピエロ、道化師は、人を笑わせる人。メイクは派手で、滑稽な動きで笑いをとる。
そのメイクには、涙の模様がある。つまり、笑わせようとしているんだけど、泣いている。どこか傷ついている。それも含めて笑いに変える。また、風刺的側面をもった笑いを起こす。
基本的には、ピエロというのは「笑わせる人」というよりも「笑われる人」ということだろう。
笑われているんだけど、同時に笑わせてもいる。結果的に人は笑っている。次第にその境目が見えなくなる。
自分は今笑われているのか? それとも笑わせているのか?
笑われているという自覚があるから、涙のメイキャップとなっているが、同時に笑わせているかもしれないという錯覚が、笑いのメイキャップとなった、混在したメイクをピエロはしている。
ジョーカーの意味もほぼ同じで、道化師、または洒落や冗談を言って周りを楽しませる人。
トランプのジョーカーは切り札として使われる。最も弱いカードでありながら、最も強いカードにもなりうるのがジョーカーのカード。
戦況をひっくり返すカード、要するに、カオスを巻き起こすカードだといえるだろう。


このような、トリックスターとしてのジョーカー。
だから、行動が人間のとるようなものとかけ離れていることが多い。
ジョーカーに共感することは少なからずあっても、理解するのは難しいし、同一化して考えることはもっと難しい。
そういう意味で、悪いジョークのような映画でもある。



2映画「JOKER」の謎

次に、映画ジョーカーの所々にみられる謎について
映画ジョーカーは謎めいたシーンが多い。

1どこまでが現実でどこまでが妄想か?
2結局ジョーカーの父親は誰か?
3最後のセリフの意味とは?
4アーサーはいつジョーカーとなったのか?
5煙草に込められた思いは何か?
6結局笑いの発作は本当だったのか?
7弾切れを起こしていたのでは?
8銃を手に入れる経緯についての不可解さ


1どこまでが妄想か?
明らかに妄想とわかるシーンと、妄想なのかどうなのかわからないシーンがあり、その結果、どこまでが(映画内)現実でどこまでが妄想なのかがわからないような描かれ方をしている。
なので、一人ひとりの感想にゆだねられる。ラストシーンまですべて妄想という派と、ほとんど現実派がいるようだ。僕個人的には、妄想と現実が入り混じっている派で、しっちゃかめっちゃかというイメージ笑 見た感じ、そもそもマーレイに呼ばれてはいないという印象を持った。後半の流れが妄想という印象で、弾切れしていたのにも合点がいく。
 

2結局ジョーカー父親は誰か?
ジョーカーの親は謎であり、トーマスウェイン(バットマンの父)なのか、または別人なのかわからないような描かれ方をしている。ここは本当にわからない。


3最後のセリフの意味は?
「面白いジョークを思いついたよ」「どんなの?」「君にはわからないさ」
君にはわからない、ということそのものがジョークなのか、ジョークを言っても君にはわからないという意味なのか、君は理解する前に死んでしまうからわからないのか。
観客には理解できないという意味(共感を突き放す)なのか。
それとも、これまでの流れすべてがジョーク(妄想)なのか、この映画そのものがジョークなのか、非常に含蓄のあるセリフとなっている。


4アーサーはいつジョーカーとなったのか?
結構難しいところで、バットマンと相対するジョーカーを考えたらアーサーは年を取りすぎという意見もある。つまり、アーサーは引き金であって、バットマンに登場するジョーカーではない、という意見。僕としては、ジョーカー的な部分を人間が持ち合わせており、彼の中のジョーカーが覚醒したという意味では、ジョーカーに覚醒したといえるだろうと思う。マーレイを殺害した後くらいで、完全にジョーカーとなったのではないかと思うが、徐々にジョーカーになる映画だと思うので、あやふやな部分がある。アーサーとジョーカーが入り混じっている。ただ、最後の精神病棟でのアーサーはジョーカーだと思う。

5煙草に込められた思いは何か?
やたら煙草を吸っている。吸いすぎなくらい。何か意味を込めているのは間違いないだろう。煙草はメタファーであると思われる。
煙草を吸うのは中流層に多く、毒であると同時に多幸感をもたらすものでもある。
麻薬的側面を持つ。
つまり、自己破壊の象徴、そしてその自己破壊を自己肯定するものとしての煙草であると考えられる。

6結局笑いの発作は本当だったのか?
障がいによって笑っている、という可能性以外にも、精神的な抑圧から、笑いが起こっている可能性がある。
アーサーの笑い、その笑いに注目していただきたい。眉をしかめたまま笑っている。
つまり、笑いたくもない、むしろ「ネガティブ」な時に笑っている可能性が高い。
アーサーが笑う時に注目したい。(違っている箇所があるかもしれません)
1バスで子供を笑わせる。母親から、かまわないで、と言われる→笑いの発作
2不気味な奴だ、と同僚に言われる→笑いの発作
3電車内で女性に絡む3人の男を見る→笑いの発作
このように、本来なら悲しかったり嫌だったり起こったりしたいときに、笑いの発作が起こっている。
これは、親から「ハッピー」というあだ名をつけられていることからもわかる。スマイル、という曲がこの映画で使われている。笑っていれば、人生には価値がある、というような歌詞の曲だ。
アーサーは、笑いを親から強制されている。つらいときこそ笑いなさい、というようなことを言われてきている。そういうことによって一時的に何とかなることもあるが、それだけではどうしようもない。だが、アーサーにはそれしかない。つらい時も笑うしかないのだ。
つまり、笑うことだけは許可されている。そして、笑うことしか許可されていない。
だからコメディアンを目指すし、コメディアンを尊敬するのだ。
この「つらい時に笑う」という症状と、「自己コントロールを失ってしまう」というアーサーの人物から、笑ってはいけないような状態のときに限って、笑ってしまう、ということが起こっているのではないかと僕は思いました。


7弾切れを起こしていたのではないか?
マーレイを殺害するにあたって、銃は弾切れを起こしていたのではないか?
すくなくともそうおもった。なので、このシーンは妄想か、あるいは弾をどこかで購入しているということになる。(弾丸の購入シーンは描かれていない)


8銃を手に入れるシーンが不可解
アーサーが銃を仕事仲間からもらうのだが、それがあまりにスムーズなのが不可解。仕事仲間はなぜ銃を渡すのか?
これは完全に僕の妄想だが、暴行少年たちとランドル?はうしろでつながっていて、ランドルは恩を着せ、銃を売りさばくためにアーサーを襲わせた、と思うとしっくりくる。
だいたい、ピエロ派遣業の店主?は、アーサーが看板を奪われたのはわかるはずだ。
彼と一緒にピアノを弾いていたものがいて、奪われるシーンを目撃しているのだから。
なぜアーサーがそう店主?にいいかえさなかったのか、不思議である。アーサーがそれほど頭がまわらない人間だという描写か、単に脚本に穴があるか。
とにかく、普通は銃を渡さないだろ、というところで、これは日米での感覚の違いかもしれないが、不自然さというか、あまりにもスムーズに行き過ぎているのを感じた。



3ジョーカー(アーサー)に共感できるか?

ジョーカーに共感できるかといわれると、なかなか難しいところがある。
まず、ジョーカーの現状だが
①虐待を受けた過去
②精神薬を7種のむ
③重度の喫煙習慣
④突然笑ってしまう発作持ち
⑤運動神経はよくない 
⑥誰からも相手にされない(友達も恋人もいない)
⑦夢を持っている(コメディアン)がうまくいきそうもない
⑧母子家庭
⑨極度の貧困
⑩仕事仲間からの裏切り
⑪妄想癖


という、ざっと挙げただけでもこれだけの状況に囲まれている。
とはいえ、いくつか体験したり当てはまる、という人は少なからずいるだろうし、似たような体験をすることもあるので、そういうところで共感してしまう、共感を呼ぶという作りになっている点は否めない。
彼の境遇がどんどんひどいものになっていく点も、同情を呼ぶ作りになっている。


そういう意味で、バットマンよりははるかに共感を呼びやすい構造である。
バットマンは「大金持ち」「イケメン」「ハイスぺ」「笑わない」「コウモリ恐怖症」「自警癖」と、はっきりいって、共感しにくい笑
その点、ジョーカーのほうが一見マジョリティで(実際のジョーカーはかなりのマイノリティ)感情移入しやすい。また、根はいい人であったのではないかと思わせられるので、応援したい、と思わせるような弱者であるといえるだろう。とはいえ、例えばブルースの顔を笑わせようとするシーン。
これは、実は悪いことはひとつもしていない。自分が持っているのは笑顔だけだから、渡せるのも笑顔だけなのだ。とはいえ、こどもの口の中に手を突っ込み、口角をあげるのは「どうかしている」としかいいようがない。ブルースウェインが子供ゆえにそれを受け入れてしまっているため、一見あり得ることなのかと思わせるも、執事がきて観客は奇行に我に返る。
このあたりで、アーサーの狂気性、異質性、共感力のなさ、コミュニケーションの断絶を表現しているあたりは、さすがだなという感じがする。
つまり、共感したり感情移入したり同情することはあるが、それと理解するということはまた別で、アーサーに共感、同情したとしても、理解することは難しいという線引きがなされている。
つまり、母親以外誰からも相手にされない、というようなこと、それは少しはあるかもしれないが、本当に相手にされない、ということはまれだし、孤独になる時もあるだろうけど、友達がいないこともない・・・という人が大半で、共感する部分はあるにしても、完全ではないはずだと思われる。
そのあたりのバランスが、非常にうまいですね。


4何を描こうとしているのか?

これらのことを踏まえて、この映画はどういうものか考えたい。
トーマスウェイン(バットマンの父)が、いやな人物として描かれている点は間違いない。
社会的な弱者にとどまり続けるものはピエロだ、というような発言をしたり、貧困層があえぐ中、優雅にチャップリンのモダンタイムス(労働者のための映画)を見る。
そして、極めつけはゾロも見ている。
「社員は家族」といいながら、社員の顔も知らない。そして、元社員だったアーサーの母への援助はないどころか無視である。
暴力も振るっているし、そういう意味で「嫌な奴」として描かれているのは間違いない。

一方アーサーは、非常に追い詰められていて、同情しても仕方のないようなことばかりが起こる。たとえば、急に看板を奪われ暴行を受ける、だとか、社会福祉の援助を打ち切られる(ウェインによって)だとか。つまり、アーサーに感情移入しやすいような作りになっている。
しかし、ここでよく踏みとどまって考えれば、トーマスウェインが悪者ではないことはわかるはずだ。たとえば、打ち切るということは、それまで福祉をしていたのはウェインだし、アーサーの奇行から、アーサーを殴っている。それは最善ではなかったかもしれないが、一定の理解を得られる行為であるものだったと思う。
そこで、じゃあ監督はアーサーに感情移入させて、何を見せたかったのか?という問題になる。
おそらくそれは、現実の暮らしであり、切り捨てられる弱者であり、社会や力のあるものが「見ようとしなかったもの」「見たくなかったもの」それと同時に民衆にとっては「切り捨てられる自分自身」であり、自分がそうでありながら「切り捨ててきたもの」であり「もしかしたらこうなっていたかもしれない自分」でもある。

つまり、非常に警告的な映画だといえるだろう。
こうならないようにしよう、と思い、実際にこうはならない人が大多数であるのは間違いない。一方、マイノリティ中のマイノリティ(重度の精神疾患を持ったり、コミュニケーションをうまくとれなかったり、どこにも友達がおらず、というような要素が幾重にも絡み合う人物)には、もう「こうならざるを得ない」という人もいるのではないか、と思わせられるような作りだった。

要するに、犯罪を正当化してしまっているようなニュアンスがあるのだ。
ただ、決定的に違うのは、やはりジョーカーだからこうなったのであって、ジョーカーでなければこうならないのではないか、ということだ。
一般的に、殺人を犯した人も、ジョーカーのようではない。つまり、ジョーカー的狂気を持ち合わせてはいない。ジョーカー的狂気というのは、つまり「悲劇が喜劇」という物事が完全に反転してしまった状態だと考えられる。
この映画で、悲しいのに滑稽(実際には笑うに笑えないのだが)のような、背筋の凍るような寒いギャグ的シーンの数々がある。暴行される時、急所だけは守るだとか、ピストルを落としちゃうだとか、救いを求めに行った父親に殴られるだとか。
「笑いに変えるしかない」ような悲劇を、「喜劇」とすることはあるが、ジョーカーとなった彼は積極的に「喜劇」を創作しようとする。
つまり、人を殺すのもジョーク、というような、狂いがそれにあたる。



5考察&感想
長いね、この記事笑 まあでも仕方ないかな。付き合ってくれてありがとうございます!(*^-^*)
さて、この映画ジョーカーについて、考察したいことがいくつかあって、映画ジョーカーの謎でも取り上げたけど、加えていくつか。

考察
①アーサーという人物について
②アーサーにとっての幸せとは何か?
③コメディショーでのアーサーについて
④この映画はハッピーエンドか? バッドエンドか?

①アーサーという人物について
アーサーはよいところもたくさんある。子供にやさしいように見えるし、親の面倒をみたりしている。
ただ、短気で、自分に気に食わないことが起こると、恨みを持ちやすい傾向にある。
人の気持ちがわからないか、というとそうでもないが、コミュニケーションはうまく取れない。
問題は、その良いところまでが、実は塗り固められたものではないか、ということだ。
アーサーは虐待を受けている。つまり、親には逆らえない、逆らわないようにしている。
この結果、「ハッピーでいなさい」ということに「逆らえない」
人を笑わせるということすらも、実は虐待の結果だったのではないか?
アーサーはそういう気持ちもあって凶行に及んだのではないだろうか。
つまり、笑いすらも虚構であった。唯一の「コメディアン」というアイデンティティすらも崩壊するということを描いている。

また、薬の服用もテーマになっている。薬が切れるにつれ、実はアーサーは「正気を取り戻していく」
そこらへんの描き方がすごい。つまり、今までのアーサーは「薬によって抑圧された人間」だったのだ。


②アーサーにとっての幸せとは何か?
アーサーにとっての幸せは、それが虚構であろうと何だろうと、ひとを笑わせる、そして「拍手喝さいをもらう」ということだろう。
そうすることで、自分が「実在している」と感じられ、「価値がある」と実感できると思い込んでいる。そして、それが幸せだと思っていると思う。

③コメディショーでのアーサーについて
アーサーは当初自殺する予定だった。それは、自殺の予行演習を行っていることからもわかる。
あそこで、衝撃を残したいからこそ、警察にはつかまりたくなかったのだろう。
ところが、そのような予定とは裏腹に、アーサーは凶行に及ぶ。
なぜだろうか?
それは、デニーロに邪魔されたからに他ならないだろうと僕は思う。
ノックノック・・・。までは予定通りだ。つまり、この時点ではアーサーは自殺するつもりだった。
ところが、チャチャがはいる。デニ色がチャチャッとチャチャをはさむ。
そこでアーサーの怒りに触れる。それは、アーサーが貧乏ゆすりをしたことからもわかる。
その後、アーサーはデニ色に対し色々言ってはいるが、それは付け足しだった。
もともとは自殺するつもりだったのだ。

つまり、アーサーは殺人をするつもりであの場所に行ったつもりではなかった。
これは非常に重要なことだ。アーサーは、コメディショーで「笑いものにされた」ことに、呆然とする場面があるが、そこでアーサーは自分が笑いものにされたことを受け入れるしかなかったはず。
そして、電話で出演依頼が来ることも予想できないことだった。
つまり、番組を見た時点で、デニ色に殺意を抱くことがあったとしても、デニ色を殺害することはできないことは自明の理だ。
アーサーがあそこで受けたのは絶望で、コメディアンとしての死刑宣告をされたような気持ちだったのではないか。そして、電話で出演依頼がきても、アーサーはデニ色を殺すのではなく、自殺の予行演習をしている。つまり、途中まで殺意はなかった。
最後、チャチャをいれたからデニ色を殺害する方向へ、急遽舵を取ったのだろう。


④この映画はハッピーエンドか? バッドエンドか?
最後、パトカーと救急車が衝突し、キリストのようにアーサーは祭り上げられ、そしてアーサーがパトカーの上で踊る。
このシーン。
ここをして、ハッピーエンドだとする意見が結構あるが、僕はそうは思わない。とはいえ、ハッピーエンド的要素がないわけでもない。

このシーンは非常によくできている。僕が思うに、すべてはこのシーンに到達するためにあった。そして、このシーンが意味するものは、強烈な皮肉だと思う。

先ほど、アーサーにとっての幸せは、皆に認められること、そして、皆を笑わせること、ということだと書いた。その図式が、ここでは成り立っている。
アーサー(ジョーカー)は、「笑うピエロ」に囲まれて「拍手喝さいを浴びている」
だが、それはコメディアンとしてではない。
アーサーの願いはコメディアンとして、人を笑わせるということだった。
だが、現状はどうか? 周りの人々は、アーサーを自分の代弁者としてたたえている。
そして、それは全くの誤解にすぎない。

アーサーの殺人は、富裕層への逆襲ではない。殺人の動機は、防衛本能、恨み、怒り、やけっぱちなどによるものだ。そして、アーサー(ジョーカー)を祭り上げたところで、彼は貧困層のヒーローにはならない。(バットマンから考えるに、ジョーカーは誰も信じず、誰のためにも働かない)
つまり、アーサーを讃えるのはお門違いであった。アーサー自身も、政治的意識はないとでに色に対し答えている。そして、急遽自殺から他殺へと舵を切ったアーサーは、でに色を殺害する「言い訳」として、でに色を非難している。もちろん、アーサーの中にも、そういった市民をないがしろにする者に対する怒りはあった。だが、根本的にはコメディアンとしての尊厳を侮辱されたから(ギャグをジャマされたから)デニ色を殺害するのである。

このないまぜ状態を、民衆が勝手に誤解した。
アーサーは、アンチヒーローとして祭り上げられる。
これがアーサーの望んだことだろうか?全く違う。笑

とはいえ、そこには「自分がいるという実在感」や拍手喝さいを浴びることで、自己肯定感を得られたはずだ。
これは、とんでもない皮肉である。そして、悲劇のはずだ。
つまり、バッドエンドだ。だが、アーサーにとっては「だからこそハッピーエンド」なのだ。
なぜなら、彼にとっては「悲劇こそ喜劇」であるから。
彼の狂いによって、この強烈な皮肉がハッピーエンドとして反転する。


自分の死をギャグにしてまでも、コメディアンとして拍手(それを聞くことはないが)を求めていたアーサー。だが、デニ色を殺害したのちは、完全にその夢は絶たれる。もう、絶たれてしまったのだ。

ジョーカーは涙ぐみながら踊る。
その涙は、果たして喜びの涙か? 悲しみの涙か?



感想
えらいものを作ってくれましたな、という感じ笑
観客によってとらえ方が変わるので、どうとでもとらえることのできる映画。そういう映画は嫌いじゃないんだけど、あまりにもその幅が大きいので、もうすこしそこは制限が欲しい気もした。

そういう意味で、やはりジョーカーのジョーク的作品なのではないかと思った。


今日はこんなところで。頭の中がもやもやしていたので、書くことにしました。
演技はとてもよかったし、音響も目を見張るものがあったぞよ!('ω')(ジョーク)
個人的には見てよかったと思いました。颯爽と階段を踊りながら降りていくシーンがよかった。
とはいえ、とてもおすすめはできない映画でした!!笑


ではでは('ω')ノ


いろいろまとめ(^O^)
音楽(ピアノ)まとめ♪♪(*´▽`*)
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本まとめ(・x・ ).o0○
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絵まとめ〆(.. )カリカリッ!!
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#JOKER #ジョーカー



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グズ病が完全に治る本

お久しぶりです! 毎日暑いですね。
グズ病が完全に治る本という本を読んで、なかなか興味深かったので
ブログに書きたいと思います!(*^-^*)
こちら

気になったところ内容をまとめてみました。(もちろん全部ではありません!)

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
先延ばしの解決法
まず小さな問題から取り組もう。
やるべき目標に明確な条件を付ける。(目標を明確にする)

先延ばしには、神経過敏型 集中力不足型 ふたつの先延ばしがあります。
神経過敏型は評価を気にするあまりに先送りが生じます。( ;∀;)
集中力不足型
集中力が足りず、いろんなことに手を付けます。( ;∀;)

神経過敏型の問題解決
「不安症」「失敗恐怖症」「自己否定性」「完璧性」
不安で手につかない。
→不安に向き合えば、課題はもはや脅威にはならない!( `ー´)ノ
失敗恐怖症は評価主義に立脚している。
→評価を固定のものと考えるのでなく、刷新されるものと考えよう!(*^m^*) ムフッ
自己否定性
自尊心が低い。自尊心が低いのは自分を守るため。そういう点で失敗恐怖症との類似点が大きい。
→挑戦をおそれるのではなく、だからこそ挑戦しようという気持ちをもつ!(*^n^*) ぺフッ
完璧性
自らハードルを高くすることによって問題が先送りにされている。
自分への期待が高すぎる。
→やることの目的を明確にして、そこから自分なりの達成基準を考えれば、自分の期待を通さず目標を定めやすくなる!( - ^ -) 逆ニコリ
高すぎないかチェックすること。


集中力不足型
順序立てて丁寧に仕事をするようにする習慣を身に着けるのがよいらしいです。


先延ばしはすべて後天的なもので、必ず改めることができるとのこと。


物事が変化する6段階。
考える以前→考える→準備→行動→維持→習慣の確立

例えば、太った自分から痩せた自分への変化も、ダイエットについて考えたり
そのための準備をしたり、行動に移したりと、段階を踏んで変化が起こります。


自分の問題を認識し、その原因を探ることから、克服へのカウントダウンが始まる!( ̄ー ̄)ニヤリ

面白かった一文があって
(プロチャスカらの調査では、禁煙の努力をする人は平均して二年ほど禁煙について考え続け、それからやっと実行に移すことが明らかになった。)と書いてあった。
つまり、禁煙するまでに、禁煙について2年ほど考える期間があるということだ。

このような変化には不安でることもあったり、自分を認められないこともあると思うが
たとえ小さな一歩だとしても、たいした進歩だと考えて、再び自分の目標に挑戦を続ければいいらしい!そうだなと思う。



先延ばしを起こす原因
1、一つの結果を普遍化しすぎる。
→方法はたくさんあることを知る。

2自分や他人にマイナスのレッテルを貼る(怠け者、等)
→悪いレッテルははがそう笑 逆に、いいレッテルははってもいいかも!

3、些細な事柄を大げさに扱う
問題を大きく見てしまうことによって先延ばしが生じる。
→問題を細分化し、必要以上に深刻にとらえないようにする。

4、負け犬根性がある
自分の力では無理だと考えること。
→そうではなく、自分の力によって人生はたいていコントロールできると考えること!(^⊆^)


5すべてを二者択一で考える
つまり、成功か失敗か。一つのミスによって、全体を失敗と決めつけてしまうこともある。
→そうではなく、失敗したところもあれば、うまくいったところもあるはずだ。
全体からみて正当な評価を下し、プラスの面に目を向ければいい。

6自分の言動に神経質になりすぎる
過去の結果や自分の言葉に対する相手の反応に神経質になるあまり、そのことがきになって先延ばしが起こる。
→解決法としては、評価主義から脱却する。相手の反応によって自分の行動を制限する、ということをやめる。

7人の心を悪いほうに深読みする
たとえば、一輪車に乗って、ちょうどうまく漕げているのに、うまく漕げたのは初めてなので、こけるんじゃないかと思って漕ぐのをやめてしまう。
→マイナスの深読みはしない笑

このような思考はすべて後天的なので、改めることができる。日記などで、思考をチェックしてみる。

流れとしては・・・
 1ゆがんだ思考を見つける 2タイプを特定する 3合理的な考え方に切り替える


○○すべきだ という思考から ○○したい という思考へ
○○すべきだという考え方は、不安を生み、行動を阻害しやすい。
そうではなく、○○したい、という積極的で自主的な姿勢をとると、行動はスムーズになりやすい。

課題を決めたら、課題に取り組む理由をリストアップする。
そうすることにより、なぜその課題に取り組むのかが明確になる。

目標を定めたら、その目標に至るまでの課題を細分化する。
やりたいことリストをつくる。その際、達成期限も決めてみよう。
その目標達成にはどれくらい時間がかかるだろうか?と考えてみる。

たとえば、200ページの本を読むことが課題だとする。
ただ、読みたいものではあっても、一度に読むのは難しいとする。
じゃあ、どうやってこのやりたいことを細分化して取り組もうか?
10分で何ページ読めるかがわかると、取り組みやすい。

10分で10ページ読めるとすると、200分で読める計算になり、
その時間をどこでとるかということへと考えが移せます。

このように、目標達成に向けて取り組む内容を細分化することによって、具体的な計画が立てやすくなます。


>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

ふうー・・・。こんな感じ。
まだまだ面白いことが書いてあります!

感想
やっぱり、人は向上したいという気持ちを持っている。
そして、それにむけて行動していけば、いつのまにか自分が変化し、目標に近づいていく。

そう実感させられた一冊でした。
まえの小さな習慣でも書いたけど、やはり習慣にすることは大事だな、ということ。
この本は、習慣にするための方法や、最初の一歩の踏み出し方がたくさん書いてあって
ためになったなーという感じです。(*^-^*)

機会を見て、読み返していきたい一冊。


おすすめです!(*^-^*)



いろいろまとめ(^O^)
音楽(ピアノ)まとめ
http://op63op29pia30845.blog.so-net.ne.jp/2015-05-16

本まとめ
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文鳥まとめ
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絵まとめ
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18『徒然草』兼好法師 [本]

th (32).jpg

お久しぶりです!寒い日が続きますが、お体にお気をつけてくださいね。
さて、今回は兼好法師の徒然草。
つれづれなるままに、ひぐらし、硯に向かいて・・・・・。



吉田兼好のすごいところは、人間を観察しているということだ。
人間を観察して、どういう人がいるのか、仏教とてらしあわせたらどうなのかということを、つれづれと書いている。

すごく短いのもあれば、かなり長いのもあってまちまちだが、たとえば、三行で終わるものもある。
ところが、それにも、兼好法師のおもったことが、ちゃんと書いてある。
簡潔に、自分の思ったことを書いてあるのだ。


気晴らしになるっていうのはいいことだろう。
兼好は、無心で、つれづれに書いたのだろうか。

詳しくはわからないが、なにはともあれ、気楽さがこの本にはある。

さて、兼好法師を見習って、今回は、簡潔にこれくらいで終わる(笑



角川文庫 201【2500円以上送料無料】徒然草 付現代語訳/吉田兼好/今泉忠義



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小さな習慣 [本]

小さな習慣 という本。
なかなか面白かった。
習慣作りをすることによって、物事が良くなるという事がある。
人間の行動は、結構無意識の習慣によって行われていることが多く、
つまり、よい習慣をつけることによって、よい結果を得ることが可能となる。

とはいえ、習慣を作る途中に立ちはだかるのは、「途中でやめてしまう」ことだ。
面白いのは、途中でやめてしまうと、それまでの習慣的な活動が0までリセットされるというわけではなく、その活動に対する行動の意志力は、習慣づけようとする前よりははるかにスムーズになっていくらしい。
41-SgavV5cL.jpg
それでも、やめてしまったことによって、習慣が途絶えてしまうということはままあるだろう。
1日10KM歩くということを習慣にしようとする場合、
そのことにかかる時間や意志力や行動力は大きなものが求められる。

この小さな習慣は、習慣づけることを目的としているので、
行動自体は「ばかばかしいほどちいさなものでも良い」ということが前提となっている。


ちりも積もればやまとなるというわけで、
そういう習慣を続けていくことによって、いずれそれが大きな力になっていく。

たとえば、本を全然読まないのと、本を毎日2ページ読むのとではけっこう変わってくる。
たった2ページでも一か月後には60ページ。
3か月後には100ページ近く。300ページくらいの本なら、
9か月あれば1冊は必ず読める。

1冊読むかどうかでは知識はそれほど変わらないという人もいるかもしれないが、
10年経てば15冊となる。

面白いのは、これは、達成ラインということだ。
つまり、2ページ読むことよりもさらに読んでもいい、ということで、
20ページ読んでも差し障りはない。
むしろ、2ページだけでいいといわれても、つい6ページ、10ページと読んでしまう。

ということで、場合によっては150冊読めるし、もちろんそれ以上という事もある。

150冊読むのと0とではだいぶ違うだろう。
こういう感じで、まずは習慣を作ることを大事にしているのは、良いなと思った。

運動とか、いろんなことに生かせるので、応用力が高い。

試してみてはどうだろうか!(*^_^*)



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ではでは!
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赤いスパゲッティ

あれは、蒸し暑い夏の夜のことだった。
僕は布団に入りながら、本を読んでいた。
その本というのが何とも怪奇趣味で、友達に呼び出された男が、スパゲッティを食べると
そのまま赤いカニに変身してしまうというものだった。
ホラーなのか、コメディーなのか・・・。

ガチャン!
急に、階段の下から何かが倒れるような音がした。
びっくりした僕は、部屋を出ると、階段をおりていった。
「なんだ?」

パチッ。
電気をつけてあたりを見渡すと、コップが倒れ割れていた。
でも、どうして・・・。
僕はガラスを片付ける始めた。
床のあちこちに散らばってしまっている。
「いたっ!」
床のガラスをいつの間にか踏みつけて、わずかに足から血が出た。

「ピロリローン」
急に、携帯が光った。
僕は、血をふくのも忘れて、携帯を見てみた。
「久しぶり! いますっごい料理ができたんだけど、食べにこない?」

まるおからのメールだった。まるお大学で時々会う友達で、今はお互い1人暮らしだ。
すっごい料理・・・なんだろう?

僕は急におなかがすいたような気がして、足の裏にバンドエイドを貼ると、
まるおのすむ賃貸に向かった。


「よお! まあはいれよ」
まるおは何やら得意気だ。部屋の中から、なんだかおいしそうな匂いが漂っている。
「何を作ったんだ?」
「へへへ、まあ、そこに座った座った」
僕は、むだにおしゃれな座布団にすわってまっていると、やがて料理が運ばれてきた。


赤い・・・スパゲッティ・・・。


「ほら、おいしそうだろ。さあ、食べようぜ」
「・・・。」
僕は、あの本のことを考えていた。友達に呼び出されて、スパゲッティをたべたら、
そのままカニになった男・・・。

「これ、なんのソース?」
「もちろんトマトだ」

(ふつうのトマトスパゲッティ・・・。そうだ。でも・・・。)

僕はどうにも食べる気にならなかった。
だが、まるおはさっさと皿に盛ってしまって、スパゲッティは目の前で湯気を立てている。

「ん? どうした、たべないのか?」
まるおは、はやくもスパゲッティをフォークでからめている。
ここは機転を利かせないと。嘘も方便だ。
「うん、そういえば、さっきスパゲッティを食べたんだ」
「え? ほんとに?」
「うん」
「それってカルボナーラだろ?」
「いや・・・。」
「カルボナーラ!!」
「え!?」
「ははは」
まるおは何がおかしいのか、パクッとスパゲッティを食べた。
僕はその様子をじっと見ていた。何も変化はない。当たり前か・・・。
僕はちょっとホッとした。

「カルボナーラ!!
 それにしても、すごいって何がすごいんだ?ふつうのスパゲッティじゃないか」
「すごいっていうのは、この味さ。トマトのほかに、パプリカも入ってる」
(・・・それの何がすごいんだ?)
ぼくはそういいたいのをぐっとこらえて、一口食べた。
「どうだ?」
「・・・うまいよ」
「ほらな!」

友人は得意そうだ。
ところが、その途端、友人の体が急に縮み始めた。
「え!?」





気づけば、テーブルの上には、二匹のエビが向かい合っていた。







ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





お久しぶりです。
皆さんお元気でしたでしょうか!?
暑い日が続きますね。
台風などにも気をつけてくださいね。

久しぶりに、お話を作ってみました。
即興話です笑
そんなにこわくありませんので、どうぞ!(?)(^_^)
感想などあればコメントにどうぞ。




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脱力について [ピアノ]



ピアノの、脱力といわれる、技術というか状態について、
思うところをはなしてみようと思います。

ピアノでは、脱力という事が重要視されています。

力を抜くというか、肩の力を抜くという、あれですね。笑
音楽家では、ショパンとかは、柔らかさというか、力の入っていない状態での演奏を
重要視していたらしいです。
(らしい。本当のところはちゃんと色々調べないと、何分昔のことなのでわかりません。てへ。)


スポーツでも、結構脱力って重要視されてるんじゃないかなあ。
例えば、マラソンとか、弓道とか?

さて、この脱力という言葉、言葉だけ見ると、いかにもおかしいんですよね笑
脱力って笑

少し考えればわかりますが、完全に力が抜けていたのでは、指は動かない。
というか、何も動かないわけですよね笑

指を動かしたり、運動するときに足を動かす際には、必ず力を使っている。
弓道で、弓を絞っているのに力を使っていないというのはありえないわけです。


でも、脱力というのは大事で、要するに「余分な」力を一切使わないという事
なんじゃないかな、と解釈しています。
(違う意見があれば、是非コメントで!伺いたいですヽ(^。^)ノ)


つまり、緊張しない。力を込めない。洗練されているということ。

岩波書店の「日本の弓術」なんか読むと、そういう感じが伝わってきます。
弓道だと、弓を絞っているんだけど、すごく安定していて、無駄な力が入っていない。

何が言いたいかというと、つまり、脱力=緊張の取れている状態
かつ安定した状態
ということなのではないか、という、まあそれだけなんですけどね笑


風邪とかで、本当にしんどい時、無駄な動きをしませんよね。
余分な動きをせずに、最低限の動作で行動する。

その時、緊張感が取れていて、気持ち的には楽な状態で、でもしっかりと行動しているわけです。


この、脱力っていうのは、結構大事だなって最近感じてます。
これを、日常生活にも生かしたほうがいいと思う。
つまり、力を抜く。
いや、全部抜いちゃだめですよ?笑
脱力って変な言葉だなあ笑

まあ、緊張しないようにするっていう事ですね。
余分な力を入れない。


実は、これがベストなパフォーマンスなんじゃないかなあと、思うわけです。

緊張せず、洗練された動きで、的確に。
こういうのがいいなって思います!


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溺れる者は藁をもつかむ

最近気になっているというか、気に入っているというか、きになっていることわざ。

溺れる者はわらをもつかむ

案ずるより産むが安し

窮すれば通ず


この三つ。

中でも昨日気になったのは、溺れる者はわらをもつかむ。


この、溺れる者はわらをもつかむ、というのは、

言葉の通り

溺れかけているものは、わらなんかつかんでも仕方ないのに、わらをつかむ。

というふうな解説ですよね。

溺れる者は藁をも掴むとは、人は困窮して万策尽きたとき、まったく頼りにならないものにまで必死にすがろうとするというたとえ・・・と、まあ、そういうことですね。


興味深いのは、これは、真理だなぁ・・・と思うわけです。



だいたい、わらをつかんでしまう。

でも、僕はその藁をつかむ溺れる人が大好きなんです。笑



いやあ、こんなこと言うと、サディスティックだなとか思われそうだけど、

そうじゃなくて

なんか、必死なところが好きで。

窮鼠猫をかむと、ちょっと似ている。





普段は、逃げてばっかりいるのに、いざという時には強大な猫に立ち向かうねずみ。かっこいいよね。


じゃあ、窮鼠猫を噛むが好きでいいじゃない、とかつっこまれそうだけど笑

それでいいです、はい笑

まあ、この溺れる者はわらをつかむ、でいうと、

普通はわらなんかつかまないわけですね、人は。


普通は、わらをつかんだってどうしようもないってわかっているから、溺れた時にしかつかもうとはしない。

ねずみはいつも猫から逃げてて。


だけど、わらはそこにあって。(あるのか?)

いつもそばで、わらっていて。(!?)


・・・・。うひ!笑


おぼれても、わらをつかもうとしない人も、いると思うんです。


そういう人は、ああ・・・。なんというか・・・。


僕が好きなのは、溺れた時に、わらをつかむ人だ。

藁をつかもうとする彼らの必死さが、潔くて好きだ。


猫に食われそうなとき、ただ襲われるのを待ってるんじゃなくて、たちむかうネズミが好きだ。


そういう、窮地に陥った時に、ちゃんと藁をつかもうとする人間であれるかは、結構大事だと思う。




この必死さ。
切なさ。

好きだな。


例えば、お気にされたらすみません、自分ががんだったとして、

ガン申告された時に、初めて生命のありがたさがわかる。

心から生きているということを感じられる。

自分ががんであっても、そう申告されるまでは、のほほんと生きてるわけで。
それは、必死じゃないという事で。
そこには、熱いものがなく。



溺れて初めて、生きたいと願う。

ねこたちに囲まれて、はじめて勇気を振り絞れる。


そういうことは、確かにある。


そうでないのがいい。
最初っから気づいているのがいい。

でも、人間ってどうしても、そういうところがある。
安全だと、安心してしまう。


自分を危険にさらすことで、緊張感と行動力が生まれるという事がある。



自分が、どれだけねこたちに囲まれていると認識できるか。
自分が、どれだけおぼれそうだと認識できるか。


そういうことが、とても大事。



だって、溺れないと、わらをつかめないわけでしょ?
そこに藁があるってことも気づかず、見捨てる。


猫に囲まれないと、勇気を振り絞れない、ねずみ。
猫がいて、どこにも逃げ場がないから、勇気が出る。

猫がいなければ、逃げる筋力を使わず、たちむかう牙も使わない。


猫がいるから逃げられる、たちむかえる。




問題があるから、解決できる。
問題がないと、解決はできない。




最初っからマルタでもういていれば、それにつかまっているのが楽だし安全かもしれない。
いかだが浮いていれば、自分の力で泳がなくて済む。
そういう切り抜け方も大事だろう。
だけど、その筏だって、いつしずむかわからない・・・と考えているかどうかで、
いかだに対する思いや接し方、のりかたは変わってくる。


筏や船に乗っていてもいいかもしれない。真剣であれば。




例えば、ヨットで太平洋を横断しようとする人は、船に乗っていても覚悟があると思う。




でも、そうじゃなく、まわりに丸太もないときは、
わらをつかむおぼれるものでありたい。


猫に囲まれた時は、かみつきたいね!(・∀・」」)


よくわからないけど、まあ、そういう感じ笑

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